犀犬(シーチュエン)
[中国の妖怪]
犀犬〔xī-quăn〕(シー・チュエン)【中国語】
中国で、地中に棲むつがいの犬の妖怪。これを捕まえて飼うことができるとその家は繁栄するという。しかしうまく育てることができたという話は聞かない。
■ 地中に暮らす「幸せを呼ぶ犬」?
犀犬(シーチュエン)は中国の『捜神記』に登場する巨大な犬の妖怪だ。日本では犀犬(さいけん)として知られている。突然、地中から犬の声がするので、そこを掘ってみると、土の中からつがいになった犀犬が見つかる。この犬を見つけて飼うと家が繁栄するというので、瑞兆の獣の類いなのだろう。『捜神記』の12巻には、晋の時代に、呉郡(江蘇省蘇州市)の婁県というところで、この犀犬が現れたと書かれている。それから、東晋の時代にも、やはり呉郡で犀犬が現れて、張懋という人物がこれを捕まえて飼ってみたところ、死なせてしまったと書かれている。その後、張懋は反乱軍の手によって殺されてしまう。どうも、この犀犬を捕まえて幸福を手にするのは、なかなか難しいようだ。
晉惠帝元康中,吳郡婁縣懷瑤家忽聞地中有犬聲隱隱。視聲發處,上有小竅,大如螾穴。瑤以杖刺之,入數尺,覺有物。乃掘視之,得犬子,雌雄各一,目猶未開,形大於常犬。哺之,而食。左右咸往觀焉。長老或云:「此名『犀犬,』得之者,令家富昌,宜當養之。」以目未開,還置竅中,覆以磨礱,宿昔發視,左右無孔,遂失所在。瑤家積年無他禍幅。
晋の恵帝の元康(291年~299年)の間に、呉郡婁県の懐瑤(かいよう)という人物の家で、突然、地中から犬の声がさかんに聞こえてきました。声が出て来るところを調べると、ミミズが出入りするようなちっぽけな穴がありました。瑤が杖でこの穴を突き刺すと、数尺ほど入ったところで、手応えがありました。そこを掘って見てみると、犬の子が出てきました。雄と雌1匹ずつで、まだ目がおらず、大きさは普通の犬よりも大きいのです。餌をやると食べました。周辺の人々が見物に来ました。老人の中にこう言う者がありました。
「これは『犀犬』という名前で、これを手に入れた者は家を繁栄させるというから、育ててやるのがいいだろう」
犬はまだ目が開いていないので、穴のなかに返して、石臼で蓋をしておきましたが、一晩経って蓋を開けてみると、周辺には穴もないのに、どこかへいなくなってしまっていました。結局、その後、瑤の家は長年に渡って、禍もなければ、福もなかったのでした。
(干寶『搜神記』「卷十二」三段落目~)
この犀犬がどのようにして姿を消したのかは『捜神記』には記述されていない。地中から現れたのだから、おそらく、地中を移動することができるものと思われる。
至太興中,吳郡太守張懋,聞齋內床下犬聲。求而不得。既而地坼,有二犬子,取而養之,皆死。其後懋為吳興兵沈充所殺。
太興(318年~321年)の間に、呉郡の太守張懋(ちょうぼう)が書斎にいると、床下から犬の鳴き声が聞こえてきました。探してみましたが見つかりません。そのうち、地面が割れて、2匹の犬の子が出てきました。これを捕らえて育ててみましたが、2匹とも死んでしまいました。その後、懋は呉興の沈充という兵士に殺されてしまいました。
(干寶『搜神記』「卷十二」三段落目〔続き〕)
犬を捕らえ損なった懐瑤は幸せにも不幸にもなっていない。けれでも、飼って死なせてしまった張懋は不幸になっている。犬を死なせてしまったためだろうか。
イギリスのマン島にはアーカン・ソナという幸福の白い豚の伝承が残っている。これを捕まえることができると幸せになれるとされた。けれども幸せになったという伝承は聞いたことがない。簡単に幸福になれないのはどこの国も同じだ。
■ 大地の「気」と「犀犬」
『捜神記』をさらに読み進めてみると、
尸子曰:「地中有犬,名曰『地狼;』有人,名曰『無傷。』夏鼎志曰:「掘地而得狗,名曰『賈;』掘地而得豚,名曰『邪;』掘地而得人;名曰『聚:』『聚』無傷也。」此物之自然,無謂鬼神而怪之。然則『賈』與『地狼』名異,其實一物也。淮南萬畢曰:「千歲羊肝,化為『地宰;』蟾蜍得『苽,』卒時為『鶉。』」此皆因氣化以相感而成也。
『尸子』という書には「地中に犬がいるのを『地狼』といって、人がいるのを『無傷』というのだ」と書かれています。また『夏鼎志』という書には「地を掘って見つけた犬は『賈』といい、地を掘って見つけた豚は『邪』、地を掘って見つけた人間は『聚』という。『聚』とは無傷のことである。これらは自然のものであり、鬼神として怪しむものではない。」と書かれています。そうすると、『賈』と『地狼』は名前は異なっているが、実は同じものなのかもしれない。『淮南万畢』には「千年の歳を経た羊の肝は変化して『地宰』となり、ひきがえるは『苽』となり、死ぬときには『鶉』になる」と書いてあります。これらはすべて気の変化が原因になって、それに感応して形成されるものなのです。
(干寶『搜神記』「卷十二」三段落目〔続き〕)
とある。ここにあるように、もしかしたら「犀犬」と「地狼」、「賈」は同じものなのかもしれない。地中に生物がいるという発想は、非常に珍しいと思う。イギリスにも土に棲む妖精たちはたくさんいる。けれども、彼らは皆、穴の中で暮らすものたちで、土そのものを移動しているわけではない。けれども、中国では「犀犬」が地中から現れ、さらには豚や人まで地中から出現する。土に神秘を見ていたと言えそうだ。引用した『捜神記』の後半にも書かれている通り、中国では古くから大地には「気」が宿っているものとされてきた。したがって、その「気」を浴びることで、獣や物も変化して、妖怪になったりするとされていた。大地には、そのような不思議なエナジィがあったわけだ。土の中の生物というのは、おそらくこの「気」や陰陽五行説の影響が大きいのだろう。『封神演義』などでも、仙人たちは「土遁の術」を使って大地を移動している。
≪参考文献≫
- 『Truth In Fantasy 事典シリーズ 2 幻想動物事典』(著:草野巧,画:シブヤユウジ,新紀元社,1997年)
- 『Truth In Fantasy 7 幻想世界の住人たちⅢ<中国編>』(著:篠田耕一,新紀元社,1989年)
- 『東洋文庫 10 捜神記』(著:干宝,訳: 竹田晃,平凡社,1964年)
- 『搜神記』(著:干寶):online text(ウィキソースより)