猫股(ネコマタ)

[日本の妖怪]
 猫股〔nekomata〕(ネコマタ)【日本語】
 猫又(ネコマタ)
〔※ 化け猫(バケネコ)と混同、同一視される〕

長く生きた猫は妖怪になり、尾が二つに分かれる。霊力を持って怪異を起こすと怖れられた。人語を解し、人語を喋り、さらには人を喰ったり、人に化けたりするものもいる。化け猫も同様の性質を持っていて、同一視されることもある。

老いた猫、怪異を起こす!

猫は歳をとると霊力を蓄え、やがて妖怪になると信じられた。そのため、長い年月に渡って猫を飼うものではないという俗信が生まれたりもした。長く生きた飼い猫はやがて家を離れると山に入って猫股になると信じられたのだ。猫股はシッポが二股になっている。そこから猫股と呼ばれるようになった。猫は大体10年から30年ぐらい生きると、シッポが二つに分かれるようになって、二足歩行するようになる。こうなると怪しい振る舞いをすると怖れられた。そのほかにも『本朝食鑑』によると、毛を逆なでると光るという。『和漢三才図会』などには行燈の油を舌で舐めるとある。これは江戸時代に安価なイワシなどの魚油を使って明かりを灯していたことに由来するのだろう。ほかにも尾が長く蛇のように見えるとか、腐臭につられて死人に寄っていくなどとも伝えられている。『甲子夜話』に紹介されている猫股は飼い主が寝ているのを尻目に手拭いを頭にかぶって踊ったようだ。鳥山石燕も『画図百鬼夜行』の中で頭に手拭いをかぶって踊っている猫股を描いている。同じ鳥山石燕の『画図百器徒然袋』には「五徳猫」という名前でちょっと変わった猫股が描かれていて、この猫股は五徳をかぶって自ら囲炉裏の脇で火を起こしている。

さらに猫股はやがて喋るようになるという。『新著聞集』には2匹の猫が立ち話をしていたという話や、屋根から落ちた猫が「南無三宝!」と叫んだという話が紹介されているようだ。 根岸鎮衛の『耳袋』にも同様の話が載っていて、寛政7年(1795年)、江戸牛込山伏町の寺の和尚さんが、偶然、飼い猫が喋っているところを見つける。すると猫股は和尚さんに、猫に限らず生き物は10年も生きると喋れるようになるものだということ、14年か15年もすれば霊力を得られることなどを説明したという。

人を喰らい、人に化ける?

猫股は人間に化けることもある。特に老婆に変身することが多いようだ。江戸時代の奇談集『老媼茶話』には福島県会津で猫股が老婆に化けた話が載っている。飼い猫は老婆を喰うと、老婆に化けた。さらに2人の下女も喰い殺す。家の主人が怪しく思ってイヌをけしかけたところ、ついに本性を現して退治されたという。老婆を喰らい、その老婆になりすますというのは化け猫の常套手段で、同様の話はあちこちに残っている。化け猫と猫股の区別は非常に難しい。「鍋島の化け猫騒動」などでも女を喰らい、その女になりすまして怪異を起こした。障子に映った影が猫の姿をしていたらしい。

もちろん、飼い猫だけでなく、山猫も猫股になる。『宿直草』『曾呂利物語』では山奥で人間に化けて現れる猫股が登場するし、昔話ではこういう山の妖怪としての化け猫(猫股)の方がポピュラーかもしれない。福島県から岐阜県までの広い範囲の山中には猫股の十倍ほどの大山猫が伝わっている。この大山猫に由来する地名もあって、たとえば福島県の猫魔ヶ岳が挙げられる。山麓の雄国沼にやってくる釣り人を喰い殺す猫股がいて、ある武士が老婆に化けてやってきた猫股を斬り殺す。ところがこれは雌の猫で、雄の猫に復讐され、妻を殺されたという話が伝わっている。富山県にも猫股山という山がある。

猫股は古くは鎌倉時代にまで遡れるようで、藤原定家の『明月記』に言及があるようだ。天福元年(1233年)8月2日、南都に猫股という化け物が出没したということで、一夜に7、8人を喰らったという。目は猫の如く、形は大きい犬のようだとある。

猫股、死体を操る!

猫股が死体を操るという話もある。猫股が死体を跳び越えると蘇るという伝承もあって、『反古風呂敷』ではいたずら者が死体の上に猫を置いたところ、死体が起き上がって睨んだという話が残っているらしい。慌てて村人を呼びにいくと死体はひらりと屋根にあがると、あっという間に姿を消したという。数日後、死体は野原で発見された。

《参考文献》