ムルムル
[悪魔]
murmur(ムルムル)《吠えること,ザワザワと音を出すこと》【ラテン語】
murmus(ムルムス), murmux(ムルムクス)
ソロモン王が使役した72人の悪霊の1人。グリフォンにまたがった戦士の姿をしていて、公爵冠をかぶっている。かつては座天使だった。哲学を教えることに長け、死者の魂を連れてきて尋問することができる。トランペットの音に先導されて歩く。
■ グリフォンにまたがる戦士ムルムル
ムルムルはソロモン王が使役したとされる72人の悪霊のうちの1人で、魔術書『レメゲトン(Lemegeton)』に紹介されている。『レメゲトン』というのはソロモン王が書いた魔術書という触れ込みで広まったもので、少なくとも17世紀初頭までは遡ることができる代物だという。おそらく16世紀のさまざまな文献をもとにつくられたものだろう。ムルムルが載っているのは、その中の第一部「ゲーティア(Goetia)」で、ここにはソロモン王が使役したという72人の悪霊たちの姿や性格、能力、召喚する際の魔方陣や注意点などが書かれている。ムルムルに関する部分を引用してみたい。
(54.) MURMUR, or MURMUS. - The Fifty-fourth Spirit is called Murmur, or Murmus, or Murmux. He is a Great Duke, and an Earl; and appeareth in the Form of a Warrior riding upon a Gryphon, with a Ducal Crown upon his Head. There do go before him those his Ministers, with great Trumpets sounding. His Office is to teach Philosophy perfectly, and to constrain Souls Deceased to come before the Exorcist to answer those questions which he may wish to put to them, if desired. He was partly of the Order of Thrones, and partly of that of Angels2). He now ruleth 30 Legions of Spirits. And his Seal is this, etc.
(54)ムルムルあるいはムルムス:54番目の悪霊はムルムル、あるいはムルムス、ムルムクスと呼ばれている。彼は偉大なる公爵でもあり、伯爵でもある。グリフォンにまたがった戦士の姿で出現し、頭上には公爵冠を戴いている。彼の前をトランペットを高らかに鳴り響かせた彼の従者が先行する。彼の任務は哲学を完璧に教えることで、もし術者が望むなら、死者の魂を術者の前に連れてきて、術者が聞きたいだろう質問に答えるように命令もできる。彼はかつては座天使(ソロネ)の地位にいて、天使だった。彼は現在、30の悪霊の軍団を率いている。彼の紋章はこれである。
(Mathers & Crowley『GOETIA: The Lesser Key of Solomon the King』より)
これは魔術師メイザース(Samuel Liddel "Macgregor" Mathers)とクロウリー(Aleister Crowley)が『ゲーティア:ソロモン王の小さな鍵(GOETIA: The Lesser Key of Solomon the King)』として翻訳・編集したもの1)で、彼らは19世紀のイギリスの秘密結社「黄金の夜明け団」のメンバーだ。
『レメゲトン』の記述によれば、ムルムルは戦士の格好をして公爵冠をかぶった悪霊のようで、グリフォンにまたがって出現するという。哲学を教え、死者の魂を呼び出して会話できるようにしてくれるようだ。死者の魂を呼び出してくれるとくのは、必ずしも彼の専売特許ではなく、ガミギンなんかもやってくれる。座天使(ソロネ)というのは天使の9階級で、セラフ、ケルブに次いで3番目の地位なので、比較的、上位の天使だといえる。
1) ほかにもオカルト研究者のピーターソン(Joseph H. Peterson)が翻訳してくれている。ウェブサイト「ファンタジィ事典」ではピーターソン版も併せて参照している。
2) ちなみに「Angels」という単語はここでは非常に訳出しにくい。今回は一般名詞の《天使》として訳出したが、天使の9階級の9番目に地位「エンジェル」と訳出することもできそうだ。一方で「ソロネ」の地位、もう一方で「エンジェル」の地位と重複しているのも違和感を感じるので、今回は一般名詞《天使》とした。以下、『デーモン偽君主国』『地獄の辞典』でも同様に訳出した。
■ 死者の魂を呼び出して尋問する
『レメゲトン』の成立に直接、関わっているのかどうかは不明だが、16世紀にヨハン・ヴァイエル(Johann Weyer)という人物ががラテン語で『デーモン偽君主国(Pseudomonarchia Dæmonum)』を著していて、その中で69匹の悪霊を紹介している。ヴァイエルはあの有名な魔術師アグリッパの弟子だ。ムルムルについても記述されているので引用してみたい。
§ 39. Murmur magnus Dux & Comes: Apparet militis forma, equitans in vulture, & ducali corona comptus. Hunc præcedunt duo ministri tubis magnis: Philosophiam absolute docet. Cogit animas coram exorcista apparere, ut interrogatæ respondeant ad ipsius quæsita. Fuit de ordine partim Thronorum, partim Angelorum.
§39.ムルムルは偉大なる公爵にして伯爵だ。戦士の姿で出現し、ハゲタカにまたがっていて、公爵冠を頭に戴いている。角笛のような2人の従者が先を行く。彼は哲学を完全に教える。術者が尋問する質問に答えさせるために、死んだ魂を術者に見えるようにする。彼は座天使(ソロネ)の地位にいて、天使だった。
(Johann Weyer『Pseudomonarchia Dæmonum』より)
一見して分かるように、『レメゲトン』の記述とそっくりだ。おそらく『レメゲトン』の著者は、ヴァイエルと同じ系統の文献を参照したのだろう。あるいは、ヴァイエルの著作を直接、参照したのかもしれない。いずれにしても、『レメゲトン』は72匹、『デーモン偽君主国』は69匹の悪霊を紹介していて、その掲載順番は異なっていて、悪霊の名前にも若干の差異はあるものの、概ね、書いてあることは一緒である。ただし、ヴァイエルはムルムルの乗る動物を「vulture(ハゲタカ)」としているのに対して、『レメゲトン』ではピーターソン版、クロウリー版ともに「グリフォン」と訳出している。ヴァイエルと同時代のレジナルド・スコット(Reginald Scot)が『妖術の暴露(Discoverie of Witchcraft)』を著した際に、ヴァイエルの『デーモン偽君主国』を英訳して紹介していて、そこでは「グリフォン」と訳出している。この辺に混乱の原因の鍵がありそうだ。
Murmur is a great duke and an earle, appearing in the shape of a souldier, riding on a griphen, with a dukes crowne on his head; there go before him two of his ministers, with great trumpets, he teacheth philosophie absolutelie, he constraineth soules to come before the exorcist, to answer what he shall aske them, he was of the order partlie of thrones, and partlie of angels, and ruleth thirtie legions.
ムルムルは偉大なる公爵で伯爵でもあり、戦士の姿で出現し、グリフォンにまたがっていて、公爵冠を頭に戴いている。大きなトランペットを持った2人の彼の従者が先行する。彼は哲学を完璧に教え、術者の眼前に魂を連れてきて、術者が尋ねることを答えさせる。彼は座天使(トロネ)の地位にいて、天使だった。30の軍団を率いている。
(Reginald Scot『Discoverie of Witchcraft』第2章より)
■ プランシーの手にかかれば音楽の悪魔に?
19世紀になって、フランスのコラン・ド・プランシー(J.Collin De Plancy)なる人物が、ヨハン・ヴァイエルの著作に影響を受けながら、独自の解釈を加えて『地獄の辞典(Dictionnaire Infernal)』を書き上げた。
Murmur, grand-doc et comte de l'empire infernal, démon de la musique. Il parait sous la forme d'un soldat monté sur un vautour et accompagné d'une multitude de trompettes; sa tête est ceinte d'une couronne ducale; il marche précédé du bruit des clairons. Il est de l'ordre des Anges et de celui des Trônes.
ムルムルは地獄の帝国の偉大なる公爵で伯爵で、音楽の悪魔。彼はハゲタカにまたがった戦士の姿で、たくさんのトランペットを引き連れて出現する。彼の頭には公爵冠が輝いている。彼はトランペットの音に先導されて歩く。彼は天使の地位に着いていて、座天使(ソロネ)の地位にいる。
(J.Collin De Plancy『Dictionnaire Infernal』より)
プランシーはムルムルを「音楽の悪魔(démon de la musique)」として紹介している。ヴァイエルを参照したはずなのに、哲学の教授、死者の魂の召喚などの行がばっさり抜け落ちていて、ひたすら音楽面だけが強調されている。プランシーのこういうところは非常に面白い。ただ、ラテン語でmurmurというのは《吠えること,ザワザワと音を出すこと》などの意味があって、ムルムルの語源がこれに結びついている可能性はある。もしそうなら、プランシーが音楽と結びつけたことも、あながち外れとも言い切れない。その上、プランシーはヴァイエルの著作を参考にしているだけあって、ムルムルがまたがっているのは「グリフォン」ではなく「vautour(ハゲタカ)」と記述している点も注目に値する。
《参考文献》
- 『Truth In Fantasy 事典シリーズ 2 幻想動物事典』(著:草野巧,画:シブヤユウジ,新紀元社,1997年)
- 『地獄の辞典』(著:コラン・ド=プランシー,訳:床鍋剛彦,講談社+α文庫,1997年〔1863年〕)
- 『DICTIONNAIRE INFERNAL』(著:J. Collin De Plancy,Slatkine,1993年〔1863年〕)
- 『GOETIA: The Lesser Key of Solomon the King』(訳:Samuel Liddel "Macgregor" Mathers,編:Aleister Crowley,1904年)
- 『Discoverie of Witchcraft』(著:Reginald Scot,1584年)
- 『Pseudomonarchia Dæmonum』(著:Johann Weyer,1577年)