件(クダン)
[日本伝承]
件(クダン)【日本語】
未来を予言をする不気味なウシの子
件(クダン)はウシの身体に人間の頭を持った妖怪で、その出自は意外と古く、すでに江戸時代の瓦版などに登場している。九州や四国、中国地方などに多い。この妖怪はウシから生まれてきて、生まれてすぐに人語を喋る。病の流行や戦争、台風や旱魃など災害に関するさまざまな予言を行なうが、予言を行なうとすぐに死んでしまうという。四、五日も生きていないようだ。社会に異変が起こるときにその前触れとして現われるとされていて、件の予言は外れることがないとされる。ただし、江戸時代の頃は、必ずしも不幸な予言だけを行なう妖怪だったわけではない。豊作を告げるめでたい獣として紹介されている。天保七年(一八三六年)の瓦版には次のように記されている。
大豊作を志らす件と云獣なり 丹波国与謝郡何某板 天保七申十二月丹波の国倉橋山の山中に、図の如くからだハ牛、面は人に似たる件という獣出たり。昔宝永二年酉の十二月ニも此件出たり、翌年より豊作打ちつづきしこと古き書ニ見えたり。尤件という文字ハ人偏ニ牛と書いて件と読す也。然る心正直なる獣の故に都て證文の終にも如件(くだんのごとし)と書も此由縁也。此絵図を張置バ、家内はんしゃうして厄病をうけず、一切の禍をまぬがれ大豊年となり誠にめで度獣なり
件の絵が描かれたこの瓦版は、厄除招福の効果があるとされ、魔除けの札としても利用されていたようだ。
東雅夫は、件に関する文献を調査し、件の出現には二つのピークがあると指摘している。それは天保の大飢饉があった頃と、昭和初期から終戦にかけての動乱の時代である。実際、天保七年の記事には「めでたき獣」とあるが、この頃は天保の大飢饉の年であり、関西では頻繁に打ち壊しが起こるなど、情勢は非常に不安定だったようである。同じように、第二次世界大戦中から終戦にかけても、件の伝承は多く、「戦争が終われば悪病が流行する」とか「大戦争と悪疫とで国民の大半が死ぬ」とか、あるいは「悪い病気と戦争で国が滅びる」などの予言を行なったとされている。神戸などでもたびたび空襲が行なわれたが、戦時中、神戸の牧場に奇妙な姿のウシがうまれたとする噂が人々の間に流れたという。この奇妙なウシが日本の敗戦を予言したという。また、一説によれば、雄の件が行なう予言は違えることはないが、雌の件は、その予言を回避する方法を教えてくれるといい、神戸では「三日以内に小豆飯かおはぎを食べれば空襲を免れられる」と件が助言したという噂も、同時に人々の間に広まったという。
江戸時代には豊作を知らせるめでたい獣として、絵姿にもご利益があったが、昭和になるとそのような効果は失われ、もっぱら災いの予兆として出現する妖怪になってしまっている。
また、明治から昭和初期にかけて、件のものとされる剥製が見世物小屋に並んだという記録が残っている。今でも件のミイラとされるものがあちこちに残されている。小泉八雲も『伯耆から隠岐へ』の中で、件の見世物をする旅芸人について記している。
定型文「件の如し」はこの妖怪に由来する?!
証文や公用文書の文末などに結びの句として「件の如し」という定型文が用いられる。これは「以上の通り」という意味の語だが、天保七年の瓦版にもある通り、この表現自体が「件の予言が外れないのと同様に、この文章は事実である」という故事に由来するという説が江戸時代の頃にはあったようである。もちろん、これは俗説であり、「件の如し」という表現は清少納言の『枕草紙』にも登場する。件が登場するよりもずっと古い表現である。「件」という漢字は人偏に牛と書く。このことから、件という妖怪は、一種の言葉遊びの中から生まれた妖怪ではないかと考えられている。
やがて、戦争末期から復興期になると、人面牛身の件に代わって牛面人身の牛女という妖怪が現われるようになる。兵庫県の西宮などに伝わるもので、ウシの頭を持った着物姿の女が焼け野原になった市街地で動物の死骸を喰っていたとか、屠場の経営者の家に牛頭の女がうまれ、座敷牢に幽閉されているといった風聞も実しやかに流れたようである。この牛女を件の派生ヴァージョンと考える人もいるようである。
《参考文献》
- 『壁女 真夜中の都市伝説』(著:松山ひろし,イースト・プレス,2004年)
- 『最強の都市伝説』(著:並木伸一郎,経済界,2007年)
- 『知っておきたい 世界の幽霊・妖怪・都市伝説』(監:一柳廣孝,西東社,2008年)
- 『図説 妖怪辞典』(著:妖怪ドットコム,イラスト:Tomoe,幻冬舎コミックス,2008年)
- 『全国妖怪事典』(編:千葉幹夫,小学館ライブラリー,1995年)
- 『日本妖怪大事典』(編著:村上健司,画:水木しげる,角川書店,2005年)