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片輪車(カタワグルマ)

[日本の妖怪]
 片輪車(片輪車)【日本語】

夜な夜な車輪の音を立てて道を徘徊する妖怪。炎に包まれた片輪の車に女性が乗った姿と、車輪に大男の顔がついている姿と2種類ある。その姿を見たものは子供をとられる。残忍なものとそうでないものとがいるようだ。

見る者に祟りをもたらす車輪の怪

片輪車(カタワグルマ)は『諸国里人談』『譚海』『諸国百物語』など、さまざまな書物に登場する妖怪。姿については2通りあって、1つは『諸国里人談』や『譚海』にあるように、炎に包まれた片輪の車に美しい女が乗っているというもの。もう1つは『諸国百物語』に登場する車輪の中央に髭をはやした恐ろしい入道の首があるというもの。いずれの姿でも、夜な夜な村を徘徊し、片輪車の姿を見たり、噂したりするだけで祟りがあると恐れられた。

美しい女、炎に包まれた片輪の車に乗る

『諸国里人談』では寛文年間(1661年~1673年)の頃に、近江国甲賀郡(滋賀県南部)の村に現れたという。片輪車は車輪の軋む音を立てながら夜な夜な村を徘徊した。そのため、人々は夜になると誰も外出せず、門戸を固く閉ざしていた。ところがある物好きな女性が戸の隙間から覗いてしまう。すると、火炎に包まれた片輪の車に女が乗っていて、引く人も馬もないのに車は動いていく。やがて片輪車は女性の家の前に止まると「我見るよりも我が子を見よ」と言った。慌てて女性は自分の子供を捜したが、子供の姿はなかった。女性はこれこそが片輪車を見た祟りだと嘆き悲しんで「罪科は我にこそあれ小車のやるかたわかぬ子をばかくしそ」という歌を一首詠って戸口に貼りつけた。すると次の晩にやって来た片輪車がそれを読んで、「やさしの者かな、さらば子を返すなり。我、人に見えては所にありがたし」といって子供を返して、そのままどこかに消えてしまったという。以来、この村に片輪車は現れなくなったのだという。『譚海』では舞台は信州(長野県)に移されているが、話の内容は一緒である。

凄まじい形相の入道の首がまわる

ところが『諸国百物語』では少し趣きが変わる。舞台は京都の東洞院通りである。夜な夜なゴロゴロと音を立てて片輪車が現れた。人々はこれを恐れ、夜になると誰も外には出なかった。ところが、ある女性がこれを見たいと思って、ある晩、車の音がする頃に、戸の隙間からそっと覗いてしまった。すると、牛車の車輪だけがごろごろと転がっていて、車輪の真ん中には、凄まじい形相の入道の顔。口には人の足を銜えている。女性の家の前に止まると、「いかなる女でも、我の姿を見るより、自分の子供を見ろ!」と叫んだという。女が慌てて子供のもとへ駆けつけると、足が引き裂かれて血塗れになった子供がいた。何と片輪車が口にしていたのは、女性の子供の足だったのである。こちらはさきほどの片輪車と違って容赦がない。

石燕が描く「片輪車」と「輪入道」?

鳥山石燕は『今昔画図続百鬼』の中で片輪車を描いている。モデルは『諸国里人談』や『譚海』の方を採用したようで、炎に包まれた片輪の車に女性が乗っている。ところが、同じ『今昔画図続百鬼』には、輪入道という妖怪も描かれていて、こちらのモデルはおそらく『諸国百物語』にある片輪車である。炎に包まれた車輪の中央に禿頭で髭をはやした入道の顔が描かれている。おそらく石燕は、あまりにも姿、性格の異なる2種類の片輪車を、別々の妖怪と解釈して、入道の顔をした『諸国百物語』の方に輪入道という名前をつけて区別したのだろう。

《参考文献》