鬼(グイ)

[中国の妖怪]
 鬼〔guĭ〕(グイ) 【中国】

中国でいう鬼(グイ)は幽霊のこと。死後、人間は鬼になってあの世に行く。この世に心残りがある鬼や、この世でちゃんと供養してもらえなかった鬼は人間の前に姿を現す。鬼と人間のラヴロマンスも多く残されているが、鬼は人間の精気を吸うため、悲恋で終わることが多い。未来のことを知っているとも言われる。

死後、人間は鬼になる

「鬼」と書いても、日本の鬼(オニ)と中国の鬼(グイ)はまったく別のものだ。日本の鬼は牛の角をはやして、虎の皮でできたふんどしをはいて、棍棒を片手に暴れまわるイメージだが、中国の鬼といえば、幽霊や亡霊のことだ。「鬼」は「帰」に通じる言葉で、特に死者の国(あの世)から帰ってくる悪霊のことを指す場合が多い。幽霊と一口に言っても、基本的に中国では人間はすべて死ねば鬼になるとされる。だから、中国の物語に登場する鬼たちは必ずしも恨みがましいおどろおどろしいだけの存在ではない。人間と同様に暮らし、食事もすれば、恋愛もする。鬼と人間のラヴストーリーや友情の物語もある。生者との間に子供をもうける鬼までいるくらいだ。もちろん、この世に心残りがある鬼もいて、この場合、陰惨な物語になることはあって、こういうのは日本の幽霊譚に近いかもしれない。

中国ではあの世とこの世は別のものなので、基本的に死者の姿は見えない。稀に鬼を見る能力を持った人もいたという。けれども、心残りがある鬼は人前に姿を現すことがある。ちゃんと供養してお祭りをしてもらえない鬼も、食べ物や紙銭を求めて姿を現すという。人間の前に現れる場合、鬼は生前の自分の姿、あるいは死ぬ直前の姿で現れるという。たとえば縄で首を吊って死んだ者は縄を持って出現し、水死した者は水死体の姿をとどめて出現するという。ときには人を惑わせるために美しい姿に変身する鬼もいるようだ。このように、基本的には鬼は日本の幽霊に似ている1)

ただし、鬼は生きている人間を直接、傷つけることができないとも言われている。そのため、怨みを晴らすために、この世の官吏に訴えて、この世の法律で裁いてもらうという物語も多い。この辺は多分に中国的だと思う。

1) 日本の幽霊は足がないとされることが多いが、中国の鬼はどうなのだろう。篠田耕一によれば、女の鬼はいい香りがするらしいので、足はあるのかもしれない。

あの世でも食べ物とお金は必要で……

中国でも、日本の盆や彼岸のように死者に食べ物を捧げて紙銭を焼く。こうすることで鬼はあの世でも空腹にならず、金銭に困らなくて済むようになる。死んでも食べ物は必要らしい。ただし鬼の場合、食べ物は年に1回満足させればいいという。だから、盂蘭盆会は年に1回、7月15日だけで、この日にちゃんと死者を弔ってやればいいのだ。それから、あの世に行ってもやっぱり金銭は必要で、紙銭(金や銀の紙でつくった銭)を燃やしてやればあの世に届くというシステムになっているらしい。貧乏でお祭りをしてもらえない鬼は、この世に現れて食べ物や紙銭を要求するという。荒れた墓場や壊れた塚で鬼が出没するのは、このようにちゃんとお祭りがされていないからなのだ。

鬼が神さまの代理をしている場合もある。観音菩薩などの廟は中国各地にあるため、1人の神さまではとても手が回らないため、天界から任命された鬼が運営を代行することがあるのだという。この代行は非常に収入がいいため、鬼にとっては願ってもない地位だったようで、鬼同士がこの地位を争うこともあったというから面白い。人間は死後も地位や名誉というしがらみとは無縁ではいられないらしい。また、こうやって鬼が運営している廟では、大蛇や白猿、狐のような神通力を持った妖怪に廟を乗っ取られるということもしばしば起こっていて、そういう物語も残されている。

鬼、精気を吸い取る

鬼は陰のもので、人間から陽の気が抜けたものだ。儒教では、死後、人間は魂と魄になり、魂は神になって天上へ行き、魄は鬼になって地に帰るとされた。したがって鬼たちは精気を奪い、不足している陽の気を補おうとする。鬼に魅入られてしまうとたちまち精気を吸い取られ、やせ細って病気になってしまい、最悪、死に至る。『聊斎志異』などを筆頭に、鬼と人間とのラヴロマンスはたくさん残されている。鬼に悪気がなかったとしても、彼らと交われば精気を抜かれるため、病気になったり死亡したりするという。そのため、基本的に鬼と人間のラヴロマンスは悲恋になることが多いため、多くの作品で取り上げられる題材になりやすいのだろう。

鬼は未来のことを知っているらしい。特に人の寿命について詳しいようで、地獄の帳簿を閲覧することができたという。『続子不語』には明朝末期の話として以下のような話が伝わっている。湖北省黄岡州に張という人がいて、その子供が鬼にとり憑かれたという。鬼は集団でやってきて、食事や紙銭を要求する。そこに劉という人間がやって来ると、鬼たちはびっくりして「状元がやってきたぞ、逃げろ!」と叫んで逃げ出したという。1匹の老人の鬼は「服装の違う状元など怖くない」と捨て台詞を残して去っていったという。こうして病人は治ったというが、彼らには鬼の台詞の意味は分からない。状元というのは科挙の最高試験、殿試の主席合格者のことだ。後に劉が明朝ではなく清朝になって状元になったという。明朝と清朝では官吏の服が違っていて、鬼はそのことを言っていたわけだ。

ちなみに、鬼の行動範囲は1日288キロメートルだという(笑)。ただし自殺したものは例外で、罰として死んだ場所にとどまって動けないという。鬼を退治する方法は、お祭をしてしっかり供養してやるか、この世の心残りを解決してやることが有効だ。桃の木の枝には邪気を祓う効果があって、これも効果的。それから道士や僧侶に頼むのもいいとされている。

日本のオニにもその名残りが……?

そもそも、平安時代頃までの日本の鬼(オニ)も、目に見えないものの、実体が感じられるような霊的存在のことを呼んでいたようで、必ずしも明瞭な形をともなわない気配などをも含めた言葉だったという。和名のオニは「於爾(おに)」から来ていて、「於」は「隠」が訛って発音されたものと言われ、姿を人に見せない超自然的な存在とされていたようだ。オニのいるところは昔から死者の国(黄泉)に通じる穴とされていて、そこで信仰されていた蛇神と、日本の古来のオニとには関連があったとされている。蛇神は人間の祖霊とも信じられていたようなので、その辺にも、中国の鬼(グイ)と通じるところがありそうだ。

多田克己は日本のオニをいくつかに分類して、海難法師やナマハゲ、夜行さんなんかを「あの世からこの世に訪問してくる鬼(先祖の霊)」としている。

《参考文献》