ファー・ジャルグ

[イギリスの妖精]
 fear dearg(ファー・ジャルグ)《赤い男》【アイルランド語】
〔fear《男》+dearg《赤》〕
 far darrig(ファー・ジャルグ) fir dhearga(フィル・イァルガ) fir darrig(フィル・ジャルグ) fear dearc(ファー・ジャルク) fear dearig(ファー・ジャルグ) far darring(ファー・ジャルグ) far darring(ファー・ジャルグ)
〔※ ファー・ダリッグ,ファル・ジャルグ,ファル・ダリッグとも〕

ファー・ジャルグは《赤い男》という意味。赤い服、赤いとんがり帽子をかぶったアイルランドの妖精。さまざまな伝承があるが、ドニゴールのファー・ジャルグが有名。何でも屋のパット・ダイバーは、ファー・ジャルグに一晩中、気味の悪い幻を見せられた。マンスターのフィル・ジャルグは小人の妖精で、暖炉の火にあたらせてくれるように頼んでくる。この申し出を快く受け入れると幸運が舞い込み、拒むと不吉ないたずらをするという。妖精界に迷い込んだ人間を助けてくれる妖精だという伝承もある。

ドニゴールのファー・ジャルグ

ファー・ジャルグ(Far Darrig)はアイルランドの民間伝承に登場する妖精。《赤い男》という意味のアイルランド語「fear dearg(ファー・ジャルグ)」に由来していて、その名が示す通り、赤い服、赤いとんがり帽子をかぶって出没する。地方によって方言もあって、呼び名、表記はさまざまで、伝承もいろいろなヴァリエーションがあるが、有名なのはW.B.イェイツが紹介した「ドニゴールのファー・ジャルグ」1)だろう。これはパット・ダイバーという何でも屋が遭遇した恐ろしい出来事を綴ったものだ。まずはこの物語を紹介しよう。

 * * *

パット・ダイバーは流れの何でも屋で、あちこち放浪して仕事をしていたが、その日も泊まる宿を探していた。ところがその日に限ってみんな断られる。最後の老夫婦の家なんかは「何かお話ができますか?」と尋ねてくる。パットが「話は得意じゃないんだ」と応じると「話のできない人は帰ってくれ」ときっぱりと断られてしまう。途方にくれたパッドは、その家の納屋にこっそり潜り込んで一夜を明かそうとする。そうして藁の中に隠れて眠っていると、4人の大きな男たちが入ってくる足音で目が覚めた。藁の陰から覗いてみると、何と4人の男たちは人間の死体を引きずっているではないか。そして納屋の真ん中で火を焚くと、それをあぶり始めた。やがて、死体を回していた1人の男が、1番背の高い男に交替するように言った。すると大男は「そこの藁の下にパッド・ダイバーがいるから、彼にやらせたらいい」と言った。男たちに呼ばれて、パットは出て行くよりほかになかった。「死体をひっくりかえせ。ただし焦がしたらお前を火あぶりにするからな!」。パットが死体をうまくあぶっているのを見届けると、やがて男たちは納屋からでていった。そのうち、火が強くなったかと思うと死体を縛っていた縄が切れて、死体は火の中に落っこちてしまった。パットは真っ青になって納屋から飛び出した。

やがて草の茂みにやってきて、そこに溝があったので、パットはそこに潜り込んだ。ここに隠れていようと考えたわけだ。ところがしばらくすると男たちの足音が聞こえてくる。どうやらさっきの男たちで、1人の男が死体を担いでいるようだ。男は溝のわきに死体を置くと、交替するように大男に言った。すると大男は「溝の中にパット・ダイバーがいるから、彼に運ばせたらいい」と言う。こうしてまた彼は出て行くことになり、死体を担いで歩くことになった。廃墟と化した寺院につくと、4人の男たちは墓を掘り始めた。彼らが夢中になっている隙をついて、パットはこっそり逃げ出して木によじ登って枝に身を隠した。やがて疲れた男がシャベルを片手に大男に交替するように言う。大男は「あの木の上にパット・ダイバーがいるから、彼に掘らせよう」と言う。またしてもパットは彼らのところに行かなければならなかったのだ。

パットがシャベルを手に墓を掘ろうとしたときに、雄鶏が鳴いた。朝が来たのだ。どうやら彼らは朝が苦手らしく「雄鶏が鳴かなけれりゃ、お前も一緒に墓の中に入れてやろうと思っていたのに……」といって去っていた。こうして悪夢の一晩は幕を閉じた。

それから2ヶ月ほど経った頃、パットはドゴニールの市場で大男と再び遭遇する。「あなたは誰なのですか?」と尋ねるパットに、彼はニヤリと笑う。「俺さまを知らないのかい? あの山に戻ったら、してやれる話があるじゃないか!」

 * * *

これが「ドニゴールのファー・ジャルグ」の物語だ。すべては話のうまくできなかったパット・ダイバーのために、この大男、ファー・ジャルグが仕組んだイタズラだったのだ。悪夢の一晩は、ファー・ジャルグが見せた幻だったのだろうか。イェイツはファー・ジャルグを1人暮らしの妖精(Solitary Fairy)に分類した上でこの物語を紹介しているので、きっとこの一番背の高い大男がファー・ジャルグで、後の3人は彼がつくりだした幻だったのだろう。日本でも狸に化かされた男の話というのがたくさん残っているが、そこに出てくる狸は複数の登場人物を演じるし、立派な家や店までつくりだしてみせる。きっとアイルランド人の考えるファー・ジャルグも同じような存在なのだろう。

1) ウィリアム・バトラー・イェイツ(William Butler Yeats)の『Fairy and Folk Tales of the Irish Peasantry』に収録されているもので、レティシア・マクリントック(Letitia Maclintock)が書いた「Far Darrig In Donegal」という物語。

マンスターのファー・ジャルグ

クローカーはマンスター地方のフィル・ジャルグ(Fir Darrig)を紹介しているが2)、これはイェイツの紹介したものとは少し違っている。このフィル・ジャルグは、マンスター地方のゴールチー山脈の麓の村に伝わる妖精で、真っ赤な上着、真っ赤なとんがり帽子をかぶった身長2フィート半ほど(およそ80センチくらい)の小人の妖精で、しわしわの顔をして、灰色の長い髪をした老人だという。フィル・ジャルグは雨の日に突然、家にやってきて、暖炉にあたらせてくれと頼んできたという。頼みを聞いてやればあとで幸運に恵まれるが、もしこの申し出を拒むと不吉なイタズラをするのだという。

2) トマス・クロフトン・クローカー(Thomas Crofton Croker)の『Fairy Legends and Traditions』「The Lucky Guest」。

妖精界の捕らわれ人:フィル・イァルガ

赤毛のフィル・イァルガ(Fir Dhearga)というのも、ファー・ジャルグの別のヴァージョンなのだろう。このフィル・イァルガの伝承も、またちょっと変わっている。フィル・イァルガは妖精界の捕らわれ人ということになっているらしい。そして、妖精界に足を踏み入れてしまった人間たちは、このフィル・イァルガの助言と助力によって、再びこの世界に帰って来られる。そんな伝承が伝わっているという。ジェーン・ワイルド(Jane Francesca Wilde)の『アイルランドの古代伝説とまじないと迷信(Ancient Legends, Mystic Charms, and Superstitions of Ireland)』に収録されている「妖精の音楽(Fairy Music)」「妖精の裁き(Fairy Justice)」などがそのような好例とブリッグズ女史は書いているけれど、原文にはフィル・イァルガは登場しないので、よく分からない。このような役割を果たす妖精が登場する物語はアイルランドだけでなく、スコットランドにもたくさん残されているという。

ちょこっとコメント:
草野巧『幻想動物事典』で「ファー・ジャグル」として紹介されたためか、ウェブサイトでも稀にこのカタカナ表記を見かける。草野さん、ローマ字表記では「Far Darring」と書いていて、これはアイルランド語でもウェールズ語でも「ファー・ジャグル」とは読めないので、おそらく誤植だと思われる。ウェブサイトに転載するときには、ちゃんと吟味して載せましょう。

《参考文献》